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日本マクドナルドリンク集

アメリカ・マクドナルドのフランチャイズ企業。2005年(平成17年)度12月決算での売上高3,256億5,500万円は、単体ブランドとして日本国内の外食産業トップである。日本国内のマクドナルドは2008年(平成20年)現在、約3,800店舗で展開している。日本のハンバーガー市場における市場占有率(シェア)は1990年代後半から2000年代において60%台を獲得している[2][3]。 米国マクドナルドの直轄体制となっており、日本マクドナルドホールディングス(持株会社、旧・日本マクドナルド)の連結子会社である。現在のCEOは原田泳幸[4](代表取締役会長兼社長)。

McDonald's をマクドナルド(マックドナルド)と発音しても英語圏では通じない。発音を綴れば IPA [m?kdan?ldz]、SAMPA [m{kdO:n@ldz] (マクダーナルズ、または、マクダーヌルズ (太字はアクセント))になる。しかし、日本マクドナルド初代社長の藤田田が、「『マクダーナルズ』では日本人には発音し辛く馴染まないから、日本語的に3・3の韻になるように」と決めたのと、看板にした時の字面とバランスを考慮した上で「マクドナルド」の現表記となった。

貿易会社の藤田商店社長・藤田田(ふじた でん)がマクドナルドに着目し、フランチャイズ権を獲得。子会社・日本マクドナルド株式会社を設立し、1971年(昭和46年)7月20日、1号店である銀座店[8]を銀座三越店内に開店した。 当初米国本社からは、アメリカと同様な郊外型の店舗で展開するよう指示があった(交通量の多い神奈川県茅ヶ崎を希望したといわれる)。しかし、1号店として郊外でなく銀座に拘ったのは、「(開店当時は)銀座が流行の情報発信基地だ、銀座で話題になれば商売も必ず成功する」と踏んだ藤田の発案による。 また、1号店として三越に拘ったのも、交差点角という絶好の立地条件から。「ここしかない」と、藤田は三越まで直談判に行くが、当時藤田と掛け合った銀座店店長で後に社長となる岡田茂から、「三越の営業の邪魔にならぬよう、火曜日朝に開店できるなら出店してもらっても構わない」と無理難題を突き付けられる。当時、銀座三越は月曜日が定休日で、これは『日曜日の閉店時刻(18時)から火曜日の開店時刻(10時)までに、水周りを含め全ての作業を終わらせた上で開店させることができるなら出店を許可する』といった意味であった。 作業できる時間は実質40時間しかなかったが、どうしても銀座三越に拘った藤田は、都内のとある空き地で銀座三越の出店予定スペースを再現させ、作業員に何度も何度もシミュレーションさせた。最初は60時間近くかかったが、練度が上昇すると、仕舞いには39時間足らずで作業を終わらせることに成功した。 1号店として開店した店舗は、面積129m2と非常に小さなテイクアウト専門店で客席がなかった(後に移転)。ハンバーガー1個が80円と、当時の物価ではやや高額ではあったが、藤田の狙い通り、この店は大変な評判になり、日本各地に続々と店舗が作られるようになった。なお、1号店は新宿の本社内に資料として再現されている。その他のメニューの価格は、チーズバーガー100円、ビッグマック200円、フィレオフィッシュ100円、マックフライ70円など。 ドムドムバーガーやケンタッキーフライドチキンは、マクドナルド1号店が出店した前年の1970年(昭和45年)に1号店を出店しているが、マクドナルド1号店の登場は、日本人のハンバーガーに対する価値観に多大な影響を与えた。 同年7月24日、2号店である代々木店[8][9]が開店。その後暫くは繁華街へ集中的に出店する戦略が続く。これにより、マクドナルドが都会的であるという印象を与えることにも成功した。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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